東京高等裁判所 昭和32年(く)71号 決定
被告人 下ノ村昇 外一名
〔抄 録〕
しかしながら、ひるがえつて法が裁判官について除斥、忌避、回避等の制度を認めた所以を考えてみると、裁判官はいやしくも公正を疑われるような裁判をするものではないということについて、国民を納得させようというにあるのであるから、当事者からある裁判官について忌避申立がなされた場合に、その申立理由の当否を裁判するについては、できるだけ慎重に取り扱わなければならないのは当然であつて、忌避申立に対する裁判手続について刑事訴訟法及び刑事訴訟規則が、いろいろ特別の手続を規定しているのもその配慮に基くものであると解せられるのである。ただ、一方において、忌避権を濫用して訴訟手続を混乱させ、その進行を阻害し、延いては適正迅速な裁判がなされることを妨げようとする悪意の当事者も皆無ではない。そこでこれを防止するために、法は一定の場合には忌避申立について、とくに簡易の却下手続を定め、その間の調和を図つている。即ち、訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかな忌避申立については、直ちに決定でこれを却下することができる旨を定めているのであるが、忌避という制度を認めた法の精神からすれば、右のような簡易手続によつて忌避申立を却下することのできるのは、極めて例外的、制限的であると解せざるをえないから、ある忌避の申立がこれに該当するかどうかということは厳格に解釈しなければならないのは多言を要しないところである。而して、訴訟を遅延させる目的のみでなされたことが明らかな忌避申立は忌避権濫用の最も顕著な事例ではあるけれども、さればといつて、忌避権の濫用は常に訴訟遅延の目的が明らかであると即断することはできない。けだし、客観的には忌避権の濫用と認められ、その申立が理由がないと推認せられるような場合でも、主観的には申立人において訴訟遅延の目的をもつていることが明らかであるとは断定し難い場合もありうるからである。従つて、右のような簡易手続によつて忌避申立を却下するには、その申立が単に忌避権濫用と認められる場合のみでは足らず、それが訴訟を遅延させる目的のみでなされたものであることが明白である場合に限られることはまた理の当然であるといわなければならない。
これを本件の場合についてみると、さきにも判示したとおり、抗告人の本件忌避申立は、裁判官の公正ということについて独自の臆断をなし、忌避権の濫用と認められる疑があり、またその申立により事実上訴訟遅延の結果を招来することは明らかではあるけれども、従来の公判審理の過程にかんがみると、本件忌避申立は必ずしも訴訟遅延のみを目的としてなされたものとは断定し難いから、原裁判所としては、すべからく通常の手続に従つて忌避申立理由の当否を判断すべきであつて、例外の場合だけに許された簡易手続によりこれを却下することは許されないものであると解するのを相当とする。してみれば、原裁判所が右と見解を異にし、本件忌避申立を以て訴訟遅延のみを目的とすることが明らかであるとしてこれを却下したのは違法であると認めざるをえないから、本件抗告は結局において理由があるに帰するのである。
(花輪 山本 下関)